【趣味】映画「美女と野獣」(実写)鑑賞
観てきました、話題の「美女と野獣」!自分はDが好きだが、根本的な「美女と野獣(ディズニー)」が好きではないので
見るかどうかも正直悩んだレベルだったが、ここまで話題になったら見ねばなるまい。(なんだかんだでディズニー映画は裏切らないし)←裏切られた事多数
<鑑賞条件>
◆時間帯:連休の間の平日
◆客層・埋まり具合:ファーストデイということもあり、チケットが安く買えるので根本的に人が多い!
埋まり具合は100%。男女比は4:6くらい。カップル又は女性グループが多い。
【前談】
そもそもあまりディズニーアニメ「美女と野獣」が好きではない。
理由としては「はっきりとガストンの求婚を断らなかった主人公(ベル)のせいで巻き起こるいろいろ」という認識があるからだ。
本を読み知識を付け、夢想すること自体は別にいいと思う。それを町の人が「あの子はおかしな子だ」と認識している時点で孤独なのに、どうしてガストンの求婚をはっきりと断らないのだろう。
断って町の人から総スカンを食らったとしても、何のダメージも無いではないか。
……という気持ちのせいで、自分には、思わせぶりな女性のせいで振り回された周囲のドタバタにしか思えなかった。
また、実写化に関しては「エマ・ワトソン」がベルであることに違和感を覚えていた。
エマ・ワトソンは体育会系すぎるイメージがある。もうちょっとふっくらした、文系のほわりとした感じの子が良かったのでは。という気持ちを抱いていた。
さて、ネタバレありの感想を言っていきたい。
**************************************
◆冒頭 「王子は美しい人ばかりを集めてパーティーを開き、楽しんでいた」
エッ、これ悪い事なんですかね?王子の性癖なんだから別にいいんじゃないですかね?
むしろ有力者であってもブサイクは入れません、という潔さすら感じるがどうなのか?
◆その楽しい宴に、ババァが飛び込んできます。
その国の王子が!楽しんでいるところに!ババァ直結!最悪の造りのお城でございますね。
◆理不尽な魔法使いのババァ
これは以前から思っていた事だが、今回満を持していいたい。
ババァは突然パーティーに飛び込んできて何か(失念)を要求してきます。多分休ませてとかそんな感じ。お礼にバラの花(城の敷地内でパクッた?)をあげるから、と。
それを、王子は鼻で笑います。そしたらババァがみるみる内に輝いて「人を見た目で判断してはいけない」と魔女に変化し、王子が野獣になり、召使たちも日用品に、城自体が人々から忘れられる呪いを掛けます。
……王子の鑑識眼は素晴らしいレベルであると思うのは自分だけだろうか?
だって、ババァが「まず改善するように諭すこともせず、要求が通らなかったから呪う」クズであることを、見た目で既に見通していたわけだ。
しかも何の罪もない(もしかしたら王子に脅されて普通に職務に当たらされていたかもしれない)召使たちまで巻き込んで、呪いをかけている。
本当に最悪なのはこの魔女であると思うんだが!!!!!
◆野獣って王子……?
王子だったよね?王は?政治はどうなってんだ?
◆やたら黒人が多い
しょっぱな、城での華やかなパーティーのシーンの冒頭から、白いドレスを華麗に着こなした黒人の女性を含んだ集団が踊っているシーンである。
その時点で「あれ?」となる。美女と野獣は1700年代が舞台のはずである。
黒人が、ドレスを着て王子と一緒に踊るなど、どだい無理な話だ。フランス革命後、黒人が解放を求めていくわけだが、それにしても素晴らしいドレスを着て成り上がるには早すぎないだろうか?
また、この話はベルの住む町にも言える。
本屋のおじさんがアニメ版の白人から、実写版では黒人に変わっているのだ。
本を読むベルを「変わり者」と言っている町の人が、「変わり者」であるはずの黒人を受け入れ、本屋という生業で生計を立てることができる程利用している事を考えたら
「どこが閉鎖的で小さな町やねん」と思わずにはいられない。よっぽど開けた立派な町じゃボケが。
……という気持ちを抱くが、仕方ない。これはディズニーである。
有色人種やLGBTなどに考慮した配役の結果、こうなりました感ぷんぷん!
がんばれディズニー!
◆ガストンめちゃイケメン
すっげぇ好み……歌上手いし。ご本人がゲイらしいが、たまらん。
ルーク・エヴァンスという名前だが、どうしても意識の中にキャプテンアメリカのクリス・エヴァンスがちょいちょい顔を出してくる。
むきむき度も似とるしな。
◆ル・フゥ マジ ル・フゥ
すっごいびっくりした。ルフゥだー!アニメ版よりも、善人度が高まっていてカワイイ。
◆町でやたら勇ましい女性が目立っておった
すっげぇ勇ましいな……あれ男なんかな、なんなんじゃろ……と思っていたら、(ネタバレ)最終的にコグスワースの奥さんだった事が発覚。
主役級のキャラクターの奥さん!衝撃たるやすごいものがあった。
◆野獣……ちょっと細い……
モフモフ感が少なめ……弱そう……でも、人間と並んだらあのレベルにしとかないとダメなのかもなぁ。
◆パパがベルへのお土産にバラを持って帰るよ!
……野獣の城に咲いていたバラをポッキリ折ります!
結局それを野獣は怒って、パパを監禁するわけだが、ベルがやってきて「たった一本バラを取っただけで!?」と怒る。
いや、それってさ、犯罪者側の言い訳なわけですよ。どんな言い訳しようが、野獣の敷地内のものをパクろうとした事には変わりない。
自分は野獣擁護派。
◆ジェンダー関連……
ガストンと街の人たちの襲撃時、腕利き3人組みたいな男3人がタンス夫人に「自由になるのよ!」的な事を言って女装させられていた。うち2人は「イヤー!」みたいに叫んでとっとと居なくなったが、一人は満更でもない様子で瞳を輝かせていた。
そこまで描写するなら、彼はきっと「心が女性の男性」だったのだろう。彼の今までを考えると、アハハと笑えるだけのシーンではない。ジェンダーやLGBTの事を盛り込んでいくと、現実が見え隠れして「ただ笑う」だけではない心の引っ掛かりが出てくるよなぁ、と痛感した。
先述した女装の彼に関しては、最後のダンスシーンで、ドラァグクイーンのようなドレス姿ではなく、もっと馴染んだメイクとドレスで踊らせるくらいの事をしても良かったのではないかと思った。
◆モーリスがアニメよりダンディで素敵。
声も渋くて素敵だった。
◆ガストンガールズが……
アニメでは金髪のジャスミンみたいな、カワイイガストンガールズが散々な扱いになっていて可哀相だった。
でも「ガストンのタレ」的な扱いをされていたのは実写っぽくて良かった。
ベルに求婚した直後に、3人と目くばせして、彼女たちのいる小屋に入って行くシーンはクズとチャラさを際立たせて良かった。
◆モーリス「野獣にベルがぁ~!」ガストン「野獣などいない!キ〇ガイが!」からのベル登場!
アニメ版でもそうだったが、ベルの詰めの甘さが腹立つんだよなぁ。色々と。
モ「恐ろしい野獣にベルが閉じ込められてる!(真実)」→ガ「野獣などいない!頭がおかしくなっている!(感想※自分がモーリスを見捨てて殺そうとしたことを隠すため言っているが、実際にガストンは野獣を見ていないので真実である)」町の人「(そうよね感で失笑)」→ベル登場「野獣はいます!(謎の鏡で姿を見せる)」→怯える街の人、ガ「野獣は子供をさらいにくるぞ!野獣を殺せ!」
はい、これです。ツッコミどころがありすぎてたまらんのですが、まずは「町の人達の懐の深さを再度思い知る」わけです。
やってきたベルは、見た事のないゴージャスなドレスを着ている。それに対しての違和感を、誰も訴えない。むしろその姿を素直に受け入れている。
それは、その後にベルが取り出す鏡を見てもそうだ。野獣の姿を映す鏡を見て恐怖していたわけだが、そもそも「いやいや、その鏡なんやねん」というところを誰もツッこまない。「むしろそんなもん持ってるお前が怖いわ!」とならない。
で、ベルに関しては野獣が「いる」か「いない」かの話をしているだけと思っているのが、コミュ障爆発である。それを町の人に見せたらどういう反応をするか、そこまで思い至らないのが未熟。
「俺を思い出してくれ」と渡された鏡をそんな使い方すんの……?と悲しくなる。
また、ガストンに関しては「野獣などいない!」→「野獣は子供をさらうぞ!」になっている事に対して、誰も(モーリスですら)「いやいや、お前とりあえずさっき『野獣いない』って言ってたよな?」と詰めない。
野獣が子供を浚うっていう根拠は?少なくとも今までさらわれてはいないですけど。という詰めをしない。
詰めが甘い。全体的に詰めが甘い!
とまぁ、当時の時代背景を考えたら魔女狩りやらもあった時代のため、現代の頭で冷静に考えるのも無理かもしれないが、上に書いたことは多少なりともツッこんで欲しいところだった。むしろツッこまずにはいられない。
◆ミュージカル具合が炸裂しており非常に楽しかった。
朝のシーンがまず素晴らしかった!もちろん、エマ・ワトソンも十分に美しく、若々しく瑞々しい 歌声で感動した。
町の人々のコーラスも、様々な動作のタイミングも非常に良かった。「あー、ディズニー映画見ている!」という満足感が湧き上がる。
◆セリーヌ・ディオンのHow Does A Moment Last Forever
今回の実写の為の曲だが、これを映画で聞く前にディズニーストアで聞いて『これなんの曲だろ?めっちゃいい曲やなぁ』と思っていたので
それが流れた事で『あー、この曲ここで使うのか、ずるいなぁ』と泣けてきた。
本当にいい曲だし、それが昔から愛されてきた「美女と野獣」という作品の中に新しく入り込んでも一切違和感が無い事がすごい。すばらしい曲です。
◆しかしパリのシーンでは……
上記した曲が流れるパリのシーンでは、ベルの幼少が見れる。そこに取って付けたようなバラの形をした赤ちゃん用のおもちゃ……
陳腐すぎると感じたのは自分だけだろうか……。あれ、世界のディズニーストアで「これでもか」とグッズ化(アクセサリーをはじめとして)されとるんだが、正直そのために作ったアイテム(シーン)じゃねーかとゲスの勘繰りもはかどってしまう。
◆むしろエンドロールに流れた「ハワード・アシュマン」の名前に号泣
ディズニー新時代を支えた音楽の神「アラン・メンケン」の相棒で、志半ばで亡くなった作詞家「ハワード・アシュマン」の名前が
エンドロールのテロップで観られたことは、震えが走る程感動した。それとともに、やはり芸術は死なないんだよなぁと痛感した。
※ジャクリーン・ケネディが「芸術作品を集めています。価値は高まりはすれど、落ちませんから」と言っていた事がリンクして思い出された。
顔がイケメンすぎる(笑)。すごいかっこいいわ。
◆魔女……
ベルのパパが、ガストンに焼き豚並みのヒモぐるぐるをされて寒空の下に放置され、死にかけたのだが
それを助けたのが謎の女性「アガット」。意識を取り戻したパパが「ありがとう、アガット」と言っていたのだが、突然のアガット。
誰だ、アガット。そう思っていたら、最後に「魔女」として出てきます。
なんだそれ!おまえwwwww人間を弄んで楽しいかwwww性悪魔女がwwwwwという気もちにもなる。
◆その魔女……
最後「花びらが落ちたら魔法は解けないんやで」でおなじみの野獣のバラが散り、城の召使は全員ただの道具と化し、野獣はガストンに打たれた傷で死ぬ。
(アニメは、落ちる寸前にベルの告白で魔法が解ける)
死んだ。そしてもうそれぞれ生活道具に変化してもた。もう終わりや。
というところへ、満を持してババァ登場。死んだし変化したのに、なんか気まぐれで魔法も解くし、人間にも戻しちゃう。
なにそれ。なんなん。ギリギリ間に合うっていうのがカタストロフィだと思ってたんだけど、それだったらなんでもありやん。
◆ガストンVS野獣
野獣が戦う意思を見せなかったのがなーーー。もっと、ベルを取り合ってます感あっても良かったと思うんだけどな。(それはそれで「いや、だからベルが……」と自分は思ってしまうのかもしれないが)
◆壁の楽器とか
めっちゃ動いとったけど、あれも人間やったんか?管弦楽団の人とか??なぞ。
*************************************
ということで、見た結果★★★★☆ほしよっちゅ!
色々言うたけど感動したしエンターテイメント性もあるし、楽しかった。
いやー、しかし自分ディズニー好きやな(笑)
言いたい事こんなにあるなんてすげーわ。