下衆なマニヤの有神論

小説を書き続け(途中絶筆したが)十云年、自分の力が如何程のものか試したい。

【趣味】映画「ジョーカー」鑑賞

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久々のブログです。そして連続して映画の感想っていう。
今話題のジョーカーの感想を書きたい。

ネタバレ上等で書きますので、ネタバレがイヤな人はスマホを二つに折ってぶっこわすか、腰を落としてPCのディスプレイにせいけんづきをしてください。



【鑑賞条件】
■日時;平日夜
■観客;最大の大きさだったにも関わらず埋まり具合は驚異の約4割。男女比2;8くらい。カップル多い。

前置きとして。
自分はマーベルが好きだが、DCも見る。過去はどちらかというとバットマンの方が好きだった。
最近はアクアマンが「おもろかったけどなんで捕鯨映像を被害者面で使ってんだ」とかワンダーウーマンが「おもろかったけど倫理観わかんね」とか色々あった。

ジョーカーは好きでも嫌いでもないけど、皆高評価の「バットマン ダークナイト」は、ヒース・レジャーが好きなだけに悲しくなってしまうので3回くらいしか見てない。


さて感想に行こう。
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<先にまとめから言うと>
世間が言うほど自分は「狂気!」とか「名作!」とかも思わなかった。それには理由がある。
まず題名の「ジョーカー」からして「この人がジョーカーになる」「あのジョーカーになる」という認識が頭のどこかに存在してしまい
起こること全てがジョーカーになるための足がかりとしての感覚で見てしまっていた。
だから、人殺しも堕ちていく様も「あるべき姿」として認識してしまっていた。
また、もう一つには自分があくまでもトーマス・ウェイン(市長選立候補者、いわゆる富裕層)側の意識で見てしまっているということがある。

持病があり母親の介護もするアーサー(のちのジョーカー)は必死に世間と戦いあえいでおり、彼が悪いところなど一つもない。
しかしそんなアーサーの母親が、過去勤めていたウェイン家に助けを乞う手紙を出しても返事はこない。
弱者側からの一方的な語りで進むこの作品を見ると正直トーマスは悪役のように見える。

しかし、実際考えても見てほしい。
過去に屋敷で雇い、精神を病んだ(病んでいた?)元召使いから連絡がきたら、その手紙を現在の召使いが本当にトーマスに見せるだろうか?
煩わしさしかないその手紙はおそらくトーマスに届いていないのではないかと思う。まぁ、実際に届いていたところで個別になにかしらの対応をしたとは思えないが。
トーマスがそれを見ていないと推察できるのは、トイレで対面した時の態度にある。
(あいまいで違ってたらすまん)
トーマスは、アーサーに切り出されて初めて「関係を持った召使いに子供がいる」ということを知らされる。ということは、さんざん手紙の文面にかかれていた明確なことを知らずにアーサーと対面したわけだ。
書かれた文章をアーサーが一目見てぶち切れるレベルのあからさまな内容だったにもかかわらずだ。あの母親がそんな内容を30年ずっと書かずにいられたはずはない。

ということで、トーマスは手紙を見ていない。
さらにはそこで言いがかり、狂気に近い態度で迫った男が家にやってきたら拒否するに決まっている。

■ではトーマスは本当に悪くないのか
さてここまで擁護してきたトーマスについてだが、彼が悪ではないのは、あくまでも「家族を大事にしている」という部分についてだ。
市長選へ立候補した彼は非常に間違ったことを言ってしまった。
ピエロ姿の男に自社の社員を殺されたトーマスは
「ピエロに扮してしか何もできない卑怯者だ」
のようなことを演説で言ってしまう。これは完全にバカだ。
しかしこのような「自社の社員思いの発言」=富裕層へのアピール をしていたことを考えるとおそらくこの世界の中では富裕層の支持さえあれば当選できるのだろうと推測する。
弱者を保護したり対応する内容など、市長選には関係ないし意味もない。
もしかしたらそれがネックになって落選する可能性もあるのかもしれない。
そんな中、彼が選んだ言葉はやはり富裕層へ向けてのアピールでしかなかった。それが残念だ。

■妄想と現実が入り乱れ
ぐっちゃぐちゃでようわからん。

■ダンス……
太極拳みたいなのなんだあれ

■コメディ番組に出演
自分が一番ドキッとしたのはここだなぁ。
アーサーが舞台で激寒のギャグ
(子供の頃は僕がコメディアンになりたいと言ったら誰も笑わなかったのに、今はコメディアンだと言ったら皆が笑うんだ)
という結構正直おもろいギャグを披露して滑り倒す姿をテレビに出しツッコむ人気コメディアンのマレー。
そのツッコミがうけ、とうとう本当にアーサーが番組によばれる。
それまでマレーに呼ばれたらこうして……とかわくわくしながら練習していたアーサーだったが、実際に舞台に出ると彼は自分の貧困や苦悩を語る

その姿は、完全に自分の今までとの決別のような印象を受けると同時に
「マレー、君は僕を笑いものにした」」
という言葉が自分の胸に突き刺さった。
アーサーはバカではない。
必死に前を向こうと今まで「バカにされている」という現実から目を背けていたが、もう背けることをやめた。そうしたら残るのは、現実だ。
なんかこのシーンは自分も見ていてつらくなり(おそらく今まで展開してきた人殺しやいじめとかよりも、より自分に身近な話が突然目の前に出されたという感じ)
「いじりと笑いの境界線ってわからんよなぁ」とめちゃ考えることになった。


■自分が大好きなフランク・シナトラががっつり流れる!
この時の興奮たるや、どえらいもんでした!!!!

↓シナトラの音源買ったよ!の話
http://tora-kaibuntei.hateblo.jp/entry/2017/04/19/014647

↓映画ジャッキー を見た感想とシナトラの話
http://tora-kaibuntei.hateblo.jp/entry/2017/04/25/000512

この、二つ目の映画「ジャッキー」感想の最後に書いたけど。
フランク・シナトラは輝かしいその姿の裏に、別の姿を持っていた。
マフィアと繋がり、権力を得ようとするその2面性はまさに仮面で本性を隠したピエロのマスクだ。
フランク・シナトラを起用したのは単純に音楽としてすばらしいというだけではなく、そういった裏も含めてではないかと勝手に邪推している。

■あのジョーカーだの違うだの
全然思わなかったなぁ。
自分の勝手な印象としては、薬液に落ちてジョーカーになる印象だったので、この作品はスタイリッシュではなくかなり泥臭いけど
それもまたジョーカーだし、ジョーカーというか「弱者の王」が生まれた話としては秀逸だと思う。

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ということで★★★☆☆(ほしみっちゅ!)
もう一回観たいかどうか考えたら観たくないけど観たい。